プーチン大統領が軍事費の削減に言及

分析資料

本稿は2019年6月20日にプーチンが軍事費の削減について発言した事象について分析し、その影響を評価するものである。

プーチン大統領の軍事費削減発言

2019年6月20日、プーチン大統領は「軍事費はかなり控えめであるにも関わらず、私たちは軍事力や核のパリティを確保しているだけでなく、私たちの競合者たちより2歩も3歩も先へ行っている。なぜなら、私たちのような先進的テクノロジー兵器を持つ国は世界に1つもないからだ。私は我が国の極超音速ミサイル技術のことを言っている」「興味深いのは、おそらく、私たちは軍事費を削減している唯一の軍事大国であるということだ」と発言し、2017年の軍事予算はGDPの3.4%、2018年は3%弱、2019年は2.9%であったと指摘し、「来年(2020年)は2.87%、2021年は2.8%になるだろう」と発言した1

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI: Stockholm International Peace Research Institute)の統計を見ても、確かにロシアの軍事費は2016年を頂点として下がり続けている2。プーチン大統領の発言は、2017年以降の軍事費の穏やかな下降傾向を、少なくとも2021年までは継続させる意向を示したものとみられる。

最近の軍事費の傾向に関して、東京大学先端科学技術研究センター特任助教の小泉悠は2017年に発表された「2025年までの国家装備プログラム(GPV-2025)」を分析し、「この数年続いてきた軍拡モードをロシア政府がそろそろ引き締めにかかってきている」と評価しているが3、今次プーチン大統領の発言もこの評価を裏付けるものと考えられる。

また、カーネギー財団のユージン・ルーマーが「プーチンのような古い世代のロシア指導者たちは、ソビエト連邦の経験、つまり米国との軍拡競争、アフガニスタンの泥沼、そして地図のはるか片隅に到達した野心的な計画について考慮しないわけにはいかない」と指摘しているように4、今次軍事費削減の発言には、近年成長著しいロシア軍の過剰拡大を防ぐ政治指導者としての意図があるとみられる。

ロシアの政軍関係

軍事費の削減によって影響を受けると思われる分野の1つが、ロシアの政軍関係であろう。これまでロシアは、主に予算や人事等によって軍を統制してきたからである。

防衛大学校准教授の小泉直美はロシアの政軍関係について、ソ連崩壊以降「参謀本部が排他的な管轄権を有してきた慣行」が「手つかずのままプーチン時代に持ち越され」ていたが、2007年以降は「ソ連時代のシステムの崩壊・再構築」がなされ、行政改革や利益保障、脅威認識の共有によって「行政府による統制」が再確立されたと指摘している5

つまり軍事予算の削減は、ロシアが「行政府による統制」を行うにあたり重要なレバレッジの1つである利益保障の問題に関わってくる。

軍政総局の設置

軍事費削減が軍の利益保障を揺るがし「行政府による統制」を弱める可能性がある一方で、行政改革によって統制を強めようとする動きも見られる。

2018年7月の軍政総局の設置は、ソ連時代の政治将校の復活とも言われている6。ただし、ロシアの軍事専門誌「祖国の弾薬庫」編集長ビクトル・ムラホフスキーが指摘するように、この制度はソ連時代との類似性はあっても、部隊に対して指揮官と党の2重支配をもたらすような性格のものではなく7、また西側の専門家が指摘するように、主にインターネット経由のロシア政府の立場に否定的な西側発の情報による兵員の士気低下を阻止することが目的とみられる8

実際、軍政総局の初代局長に就任したアンドレイ・カルタポロフ大将は、米国がロシアの芸術家、政治家、メディア関係者の支援を得てロシア人の文明的アイデンティティを破壊しようとしているとして、「インターネットでは「グラフィカ」、メタルギア、「ルネット・エコー」といった米諜報機関の計画が広く行われている。これは世論を直接操作することを狙ったもので、特に若者がターゲットになっている」と発言し9、日本製のコンピューターゲームまでも米諜報機関の陰謀であるかのような見方を示している。

ロシアの脅威認識

軍政総局が西側諸国の脅威を軍内に喧伝している動向を見ても、ロシアが軍への統制を維持する上で脅威認識の共有を重視していることがわかる。

実際、脅威認識のズレは政治指導者にとっても軍にとっても致命的である。この事実が顕著に現れたのがかつての軍改革の動向であり、もともとソ連崩壊以降の数次にわたる軍改革は、NATOとの大規模地上戦を想定したものから、チェチェン戦争のような局地戦を想定したものへと脅威認識が転換される中で行われたものだった10

軍はこれに抵抗し、軍改革は2009年まで進まなかった。政治指導者側は現実的な局地戦を脅威としたのに対し、軍はあくまで大規模戦争を支持し、脅威認識が共有されていなかったからである。

2009年軍改革の直接の契機となったのは2008年のロシア・ジョージア戦争であった。当時ジョージアでは2003年のバラ革命によって誕生したサアカシュヴィリ政権がNATO加盟を標榜していたため、軍にとっても「当面の敵はNATOの代理勢力(≒局地戦争)」へと変化して脅威認識の共有が進み、その結果、長年停滞していた軍改革は急展開を見せ、ロシアの師団はたったの1年で姿を消し旅団化された。

2013年にゲラシモフ参謀総長が発表した論文において代理勢力が紛争手段として注目されているのも11、政軍関係における脅威認識の共有において軍側が歩み寄る姿勢を見せたものとして理解できる12。代理勢力という手法が「(西側諸国によって)使用されている」と定義することで脅威認識が事実上共有されていることをアピールし、さらに自分たちが代理勢力という手法を「使用する」ことによって紛争のエスカレートを局地戦以下にコントロールできる可能性を政治指導者側に示したのである。

しかし、2014年のウクライナ危機を経て、現実的に通常戦力が備えるべきは大規模戦争なのか局地戦争なのかは、欧州方面におけるロシア軍師団復活の状況を見ても揺らぎ続けているといえる13。2018年には「朝鮮半島の火種」を背景として東部軍管区でも1個師団が復活していることから14、ロシアの政軍間における脅威認識をめぐる議論は、彼らなりの独特な論理の中で継続的に続けられているとみられる。

2019年6月にショイグ国防相は「戦闘行動の性質が根本的に変化している。特にシリアでの対立だが、これは正規軍が敵であった古典的な戦争とはまったく異なるタイプの武力闘争だ」と発言したが15、これも脅威認識をめぐる政軍関係上の駆け引きの一環として捉えることができよう。ショイグ国防相は非常事態省出身の政治家として保守派の参謀総長を従え、軍の統制について最も敏感な立場にある。

また、先述のプーチン大統領による軍事費削減発言においても、極超音速兵器に言及し、「競合者」との軍事力と核のパリティが維持されていることをアピールしているのは、政軍間の脅威認識の共有を改めて軍に求めたものと考えられる。

ドニエプル作戦

2014年のウクライナ危機は、脅威認識が再び大きく乖離する契機となりうる出来事だった。ポトマック財団のフィリップ・カーバーは、2014年のウクライナ危機においてロシア軍がドニエプル川東岸まで侵攻する大規模作戦を検討した可能性を指摘している16

カーバーがその根拠としたのは、2015年に発見されたとされるロシア軍のドラフト段階とみられる侵攻作戦の計画文書であり17、同文書には、ロシア軍がウクライナ領内へ侵攻して10~15日間でドニエプル川東岸の主要な橋梁付近を確保し、キエフをはじめとするウクライナの主要都市を火砲の射程下に収めることで、ドニエプル川以東のウクライナ軍を撃破、もしくは降伏へ追い込む計画が記述されている。

この計画が最終的に実行に移されなかったのは、ルーマーが指摘するように、ロシアの政治指導者による注意深いリスク計算の結果であったとすれば18、政治指導者の軍に対する強い統制力を示唆するものといえよう。

しかしながら、仮に2015年にロシアによるシリアへの軍事介入が行われなかったとしたら、軍にとって取り入れるべき教訓はシリアではなくウクライナになっていたであろうし、そうなれば、軍の脅威認識は再び大きく政治指導者とかけ離れたものとなっていった可能性も考えられる。

ロシアの政治指導者側から見れば、シリアへの介入は長期的に軍を統制下におく上でも必要な行動だったのかもしれない。

評価

今次プーチン大統領による軍事費削減発言は、軍に対する政治統制を弱める方向に作用する可能性をはらむものではあるが、2014年頃の程度の予算は確保される見込みであり、また現状、主要な軍の高官たちは「シリアの教訓」を受け入れることで当面の脅威認識の整合がなされているとみられることから19、これまでの行政改革等によって確立された軍に対する政治統制が大きく揺らぐ兆候は認められず、一定の軍事費の削減を遂行できる程度には強い政治統制を維持しているとみられる。

仮に今後、軍に対する政治統制が揺らぐ可能性があるとすれば、それは脅威認識の違いとなって表面化すると考えられることから、軍人の脅威認識の変化に注目する。


  1. “RF sokrashchaet raskhody na oboronu, no obespechivaet voennyj paritet – Putin,” Interfax AVN, June 20, 2019, militarynews.ru/story.asp?rid=0&nid=510778&lang=RU.
  2. “World military expenditure grows to $1.8 trilion in 2018,” Stockholm International Peace Research Institute, April 29, 2019, www.sipri.org/media/press-release/2019/world-military-expenditure-grows-18-trillion-2018.
  3. 小泉悠「ロシアの新軍備計画固まる、欧州軍事危機を反映し、陸軍重視へ」ウェッジ・インフィニティ, 2017年7月24日、wedge.ismedia.jp/articles/-/10185。
  4. Eugene Rumer, “The Primakov (Not Gerasimov) Doctrine in Action,” Carnegie Endowment for International Peace, June 5, 2019, carnegieendowment.org/2019/06/05/primakov-not-gerasimov-doctrine-in-action-pub-79254.
  5. 小泉直美『ポスト冷戦期におけるロシアの安全保障外交』志學舎、2017年、39-56頁。
  6. “Zampolit vmesto vospitatelya,” Izvestiya, September 4, 2018, iz.ru/781125/bogdan-stepovoi-aleksei-ramm-aleksei-kozachenko/zampolit-vmesto-vospitatelia.
  7. “V Minoborony sozdano Glavnoe voenno-politicheskoe upravlenie,” Vedomosti, July 30, 2018, www.vedomosti.ru/politics/articles/2018/07/30/776924-glavnoe-upravlenie.
  8. Aleksandr Golts, “Putin’s Ideology Being Established in the Armed Forces,” The Jamestown Foundation, September 20, 2018, jamestown.org/program/putins-ideology-being-established-in-the-armed-forces/; 小泉悠「ソ連時代に逆戻り? 政治将校を復活させるロシア」JBpress、2018年9月27日、jbpress.ismedia.jp/articles/-/54202。
  9. 「ルネット・エコー」は西側メディアの翻訳記事を伝えるポータルサイト、「グラフィカ」が何を意味しているのかは不明、“Zamministra oborony nazval igru Metal Gear proektom amerikanskikh spetssluzhb,” Interfax, June 20, 2019, www.interfax.ru/russia/666024.
  10. 小泉『ポスト冷戦期におけるロシアの安全保障外交』39-56頁。
  11. Valerij Gerasimov, “Tsennost’ nauki v predvidenii,” Voenno-promyshlennyj kur’er, February 26, 2013, www.vpk-news.ru/articles/14632.
  12. セルジュコフのもとで軍改革をすすめたマカロフは改革派軍人だったが、ゲラシモフは「大規模戦争を否定する者はおらず、それへの準備をしないということはありえない」と述べており、基本的な立場としては保守派軍人である。”Rossijskaya armiya gotova k krupnomasshtabnoj vojne, zayavil Genshtab,” RIA novosti, January 26, 2013, ria.ru/20130126/919857775.html.
  13. Igor Sutyagin, Russia’s New Ground Forces: Capabilities, Limitations and Implications for International Security (Whitehall Papers), Taylor and Francis (Kindle ver.), 2017, pp. 25-32.
  14. ボストーク研究所「ロシア東部軍管区で「新たな師団」が復活」2019年6月20日、vostokresearch.jp/?p=388。
  15. “Vremeni na oshibki ne budet,” Rosijskaya gazeta, June 18, 2019, rg.ru/2019/06/18/shojgu-rasskazal-o-voennyh-konfliktah-novogo-vremeni.html.
  16. Phillip Karber, “Karber RUS-UKR War Lessons Learned,” The Potomac Foundation, Conference Paper, July 2015, uploaded to ResearchGate by author on July 14, 2017, www.researchgate.net/publication/316122469_Karber_RUS-UKR_War_Lessons_Learned.
  17. “Ssylka dlya skachivaniya tekstovoj versii POYASNITEL’NOJ ZAPISKI k Planu rossijskogo napadeniya na Ukrainu,” Mirotvorets’, June 14, 2015, psb4ukr.org/246336-ssylka-dlya-skachivaniya-tekstovoj-versii-poyasnitelnoj-zapiski-k-planu-rossijskogo-napadeniya-na-ukrainu/.
  18. Rumer, “The Primakov (Not Gerasimov) Doctrine in Action.”
  19. ボストーク研究所「ロシア軍における「非スタンダードな形態と手法」とは何か」2019年6月29日、vostokresearch.jp/?p=541。

2019年7月6日